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1 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:08:43 ID:A97

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。

学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな
仕事で生計を立てていた。

それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を
持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。

給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを
買ってくれた

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた

俺は生れて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつも
より少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に
止められた

母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを
買わなければいけないと言われた。

電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら

母は 「母ちゃんバカでごめんね」 と言って涙を少しこぼした

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって
一生懸命に勉強した。

新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた

そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。

俺は 「楽しかったよ」 と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった



2 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:09:27 ID:A97

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。



3 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:09:52 ID:A97

なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」って聞いてきたが
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。

そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・。

涙が止まらなかった。



4 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:10:18 ID:A97

俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。
ただ、遠足などで弁当がいる時は、母さんが頑張って作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を見られるのが嫌で、とうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった。
時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
それは遠足の時に作ってくれたものとは、見た目も味も段違いに良くなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
と、思ったのもつかの間。 肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しか経たない内に。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺の為に、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。
そして後日、その定食屋に行って見た。
定食屋の人と俺は直接、関わりは無いけれど、優しそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、頑張って作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とても美味しかった、あの、ハンバーグの味。



5 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:10:48 ID:A97

俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。

それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエ○ビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。

俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。

そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。



7 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:11:37 ID:A97

うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんてなかった
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った



8 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:12:11 ID:A97

俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。

高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・

会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。

「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして
スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。



9 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:12:50 ID:A97

中三の頃、母が死んだ
俺が殺したも同然だった・・・

あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った

その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた

「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った

その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている



10 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:13:20 ID:mIj

溢れた涙で画面が見えなくなったからおやすみー



11 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:13:31 ID:A97

京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。

母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。

冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。

裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。



12 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:13:48 ID:X9Q

全部母親死んでる



13 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:15:18 ID:A97

俺は母親が嫌いだ。大嫌いだ。
おせっかいなとこが嫌いだ。何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。
大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。
今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。
金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言うと
結局送ってくるくせに しぶるとこが嫌いだ。
「こんな家に生まれてこなければよかった」と、言うと
電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。

俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。
そんな母親がこの間死んだ。毎日のように俺を心配してかけてくる電話が
ただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。だから、通夜にも行けなかった。
死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。

俺は母親が嫌いだ。自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。
死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。

俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。
今日をもって、俺は2chを引退する。嫌いだった母親にしてあげれなかった
親孝行を今更だがしたい。受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい



15 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:17:22 ID:A97

俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。

俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。

どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。
そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。

母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。

泣いたね、、。
初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。



16 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:18:04 ID:A97

自殺考えていた頃におふくろから電話

( ´・ω・`) 「かあさん・・・。オレが生まれた時どう思った・・・?」
       「そうねえ・・・。やっと会えたねって・・。それから・・。」(゚−゚*)
( ´・ω・`) 「・・・・・・?」
       「この子の為なら自分の命は捨てられるって思ったかなww」(゚−゚*)
Σ( ´・ω・`) 

( ´:ω;`) 「・・・・・・・・・・。」
       「・・・・・?どうしたの アンタ?」 (゚−゚*)

( ´・ω・`) 「な・・・なんでもないよ じゃあね・・・。」

電話切ったあとひたすら泣いた・・・・。オレに自殺する権利などない・・・・。
オレは生きる・・・・。せめて親が死ぬより後に



17 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:18:20 ID:A97

今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。

しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。

俺、立派な社会人になるわ。



18 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:18:47 ID:A97

社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。
「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。

でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。
だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、
「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、
「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。
「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。

服でもバックでも、ほかに何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って涙が出たけど、
トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。
そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。

いまでも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。ほんと美味いよ。世界一だ。
いつも素直になれなくてごめん。
マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。



19 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:21:58 ID:A97

高校卒業してから4年間何にもしないで家で金を使うことしかしてなかったんだ。
ネトゲやったりとかゲーム買ったりとか。たまに親にも怒鳴り散らしたりもしたな。

そんな駄目な俺が2年くらい前かな。カーチャンスレ見てから必死でバイトと勉強して やっとCMとかやってる大手企業に就職できたんだ。本当にうれしかったよ。やっと親孝行ができると思ってね。

そんで去年かな。ある程度お金が溜まったから旅行に連れて行ってやろうと思って内緒で旅行を予約したんだ。
定番だけど温泉ね。出発の一ヶ月前に内緒で家に帰って発表したら
「ありがとう……本当にありがとう……」
と涙を流しながら喜んでくれたんだ。この為にお金を貯めたのかってくらい嬉しかった。

そんで、それを近所とかに自慢してやがるのww一人暮らししてるから近所のおばちゃんから帰省の時に言われたときは恥ずかしかったw
それで出発の3日前になって電話が掛かってきたんだよ。けど仕事中だから電話に出られなくてさその時は無視してたんだ。

んで後でかけ直したら親父が出てさ
「旅行は中止だ……」
って涙声で言うわけ。訳が分からなくて「何でだよ?風邪でも引いたの?」と聞き返したんだ。そしたら後で
「母さんが……ひき逃げされて……それで……」
頭が真っ白になってその後はよく覚えてないけど。気がついたら葬式の準備が進んでたんだ。

結局母さんは2日間意識不明だったんだけど容態が急変して死んじゃったんだ。
楽しみにしていた旅行が最悪の轢き逃げの所為で葬式になっちまったんだよ。
母さんの遺品を整理しながら自分を悔やんだね。なぜもっと早く親孝行出来なかったのかと。

遺品の中にあった日記帳にはさ
「○○が旅行を予約しててくれたみたい。やったー!」
とか
「旅行まで残り3日!!前日には○○も来るだろうから一杯ご馳走を作れるようにしとかなくちゃ!」
とかギッシリ書いてる訳。それ見てたら泣けてきてさ。濡らしたらもう読めなくなるのに。
涙で文字が滲んで読めなくなるのにボロボロと流れてきたんだ。
その後で家から出てって犯人捜したけど結局見つからず。たぶん捜査は殆ど終わってると思う。

だからこんな事が起こる前に恩返しできるやつは早く恩返ししろってこと
今は父さんに恩返ししてる。文章下手ですまん。
あと飲酒運転とかしてるやつは絶対にするなよ!絶対にだぞ!!



20 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:22:03 ID:6MO

羨ましいなあ



21 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:24:34 ID:A97

私は母の顔がすごく嫌いでした。
なぜなら大きなやけどの跡があるからです。

よそのお母さんはあんなに綺麗なのに何で私のお母さんは・・・
とか、何でこの人が母親なんだろう
とさえ思ったことがありました。

そんなある日のこと。
その日の四時間目のこと私はあることに気づきました。
夕べ徹夜で仕上げた家庭科の課題が手元に無いのです。
どうやら家に置いてきてしまったようです。
あたふたして勉強も手につきません。
家庭科の授業は五時間目。

私は昼休みに自宅まで取りに帰る事を決心しました。
四時間目も終わり帰る準備をしていたところ、クラスメートが
「めぐみ〜、めぐみ〜、お母さん来てるよ」  と言いました。

私は、はっとしました。
急いで廊下に出てみると何と母が忘れた課題を学校まで届けに来ていたのです。
「なんで学校にきてるのよ!取りに帰ろうと思ってたのに!」
と息を立てて問い詰めると、
「でも、めぐみちゃん夕べ頑張ってやってたから・・・」 といいました。
私は、「おばけみたいな顔して学校来ないでよ、バカ!」と言って
母から課題をひったくるように取り上げるとすたすたと教室に入って行きました。
自分の母親があんな顔をしていることを友人達に知られてしまったことで私は顔から火が出る想いでした。

その日の夕飯後のこと私は父親に呼ばれました。
昼間のことで怒られるのだろうな・・・と思いました。
すると父親は予想に反してこんな話をはじめました。

「お前がまだ生まれて数ヶ月の頃隣の家で火事があってな。
 その火が燃え広がってうちの家まで火事になったことがあったんだよ。
 そのときに二階で寝ていたお前を助けようと母さんが煙に巻かれながらも
 火の中に飛び込んでいったときに顔に火傷を負ってしまったんだよ。
 今お前の顔が綺麗なのは母さんが火の中に飛び込んでいってお前を助けたからだよ。」

私はそんなことは、はじめて聞きました。

そういえば今まで火傷の理由を母から聞いてもあやふやな答えしか返ってきたことはありませんでした。
「なんで今まで黙ってたの?」
私は涙ながらに母親に聞くと、
「めぐみちゃんが気にすると思ってずっと黙ってようと思ってたんだけど・・・」 といいました。

私は母への感謝の気持ちと今まで自分が母親に取ってきた態度への念とで胸が張り裂けそうになり
「お母さん〜」
と言って母の膝の上でずっと泣いていました。

今では自分の母の顔のことが誇りにさえ思えるようになりました。
家族を、私を守ってくれた母のこの顔の傷のことを・・・。



22 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:29:07 ID:A97

私の母は私が幼い頃闘病生活の末、亡くなった。
もう殆ど覚えていない母だけど、
私の誕生日に渡して欲しいと15歳の誕生日までの手紙を残してくれていた。

毎年、誕生日にもういない母からの手紙が何よりも私は嬉しかった。
手紙から伝わってくる口うるさくて、心配性で、でも明るい母。
手紙に書く文体じゃなくて、まるで話すように書いてあるそれが、
もう記憶もほとんどない母が生きて傍にいる様で嬉しかった。

14歳の冬に父が再婚した。
直前までそのことを知らされなかった自分は父親に反発して反発して口もききたくなくて、殆ど会話もなかった。

そして15歳の誕生日、そんな状況の中で父はいつものように私に母からの手紙を手渡した。
誕生日ケーキだと義母の手作りケーキと、ごちそうの並べられたテーブルで。
もう母をいない人間と処理して、他の人間を「母親」としたくせにと頭に血が上って、
死んだ母からの手紙をこんな場所で渡されることに激怒した私は、どうしようもなくカーッとなって

「他の女と結婚したくせに、こんなの渡さないでよ!ふざけんな!」と
手紙を破り捨て、ぐちゃぐちゃにまるめてゴミ箱に捨て、自室へと閉じこもった。

次の日、同じように二階の自室でふてくされて閉じこもっていたら、父親にくちゃくちゃの手紙を手渡された。
「これが母さんの書いた最後の手紙だ。持っていなさい」

昨日さんざんなことをした私に叱りつけることもなく、父はそれだけを言って一階に降りていった。
最後だと言うことにショックを受けながら読んだ手紙には、
母の今までの文字とは似ても似つかないミミズがのたくったような線が綴ってあった。
普通の文字を書くことも出来なくなってしまった母が、震える手で必死で書いた手紙は
私の馬鹿な所行のせいでどうしても読めなくなってしまった。

まだ20代の若かった父が母に先立たれ、まだ幼い子供を抱えて必死で育ててくれたこともわかれなかった。
義母も新しい家族のために一生懸命誕生日を祝ってくれていたのにも気付けなかった。
まだ幼い子供を残し無念の中死んだ母の、最後の伝えたかった言葉すら読んであげられなかった。
お母さんの最後の手紙、なんて書いてあったのかな。

ゴメン、お母さん、もう読めないよ。

15の春に高校でお父さんと出会ったんだよね。
そのことについては何か書いてくれたのかな。
やっぱり今までと同じように「外から帰ったらうがいして手洗いしてね」なんて書いてくれてたのかな。

お父さんね、私へのお母さんの最後の手紙までは再婚するの待ってたんだって。
ふたりめのお母さんがね、こそっと教えてくれたよ。

ねえお母さん、私、お母さんがこの手紙を書いてくれた時より年上になりました。

馬鹿な娘でごめんね。



23 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:30:08 ID:A97

就職活動で俺が疲れてた時、実家の母親から電話があった。
ふと何の気も無しに「生んでくれてホントにありがとう」って母に言ったら、
「何言ってんの」って携帯ごしに泣かれた。
もうちょっとがんばってみようと思った。



24 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:30:44 ID:A97

もう十年位も前の話になるけど。

当時、社会人2年目だった俺は実家から遠く離れて一人暮らしをしてた。
そのとき始めたばかりのスノボで、調子に乗って鎖骨を骨折してしまった。
病院へ運ばれたら手術が必要だと。
簡単な手術だし、入院も仕事もさぼれるし、親には来なくていいと電話した。
俺もちょっと遠足気分だったんだろうな。

午後6時からの手術で、俺が目を覚ましたのは深夜1時過ぎだった。
医者から、目を覚ましたらナースコール押すように言われていた。
もぞもぞ暗闇の中を手探りでボタンを探していると、ふと気づいた。
病室の隅のパイプ椅子でお母さんが眠ってた。

来なくていいって言ったのに、心配性だな…。

そのまま俺はバタバタと検査室みたいなところに連れて行かれた。
看護婦さんに「お母さん起こさないでね」と告げた。

なにやら問診と、検査を受けていると目をはらしたお母さんが看護婦に連れられてやってきた。
子供のようにヒックヒックと痙攣止まらなくなってる。
手をぎゅっと握り締めてきた。
馬鹿だな、、かっこ悪いよ・・・。
酸素マスク越しにお母さんに話し掛けた。
お母さんはさらに強く握って泣いてた。

そして後で聞いた話なんだが。

俺は4日間眠っていたそう。

麻酔か何か、体質に合わなかったみたいで。今で言う医療事故みたいなもんか。
ベットからいなくなった俺に気づいて発狂したみたいに泣いてたと。
意識のない間、パイプ椅子で眠ってたお母さん。
体中痛かっただろうな。
ナースコールの前にお母さんに声かければよかったよ。
どれほど心配かけたんだろうな。

今でもそのこと思い出すとほんとごめんね、って思うよ。

もうすぐ俺も父親になる。
お盆には3人で帰るよ。いっぱい孫と遊んであげてな。

ありがとう、お母さん。



25 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:31:22 ID:A97

母が俺の部屋にきて今日のごはんについて聞いてきた

「たけし 今日ご飯なににする?」

からあげが食べたかったが、
素直に「から揚げが食べたい」といえなかったので
「なんでもいい!」と答えた

「なんでもいいが1番困るのよ〜、ねえ何がいい」

母があまりにしつこいので酷い言葉を浴びせてしまった
「なんでもいいから、早く作れよ!!」

母はすこし悲しそうな顔で台所に向かった

「たけしー ご飯よー」

しばらくして母に呼ばれたが、すぐには向かわなかった
よばれてからかなり後に食卓に向かうと、そこでは母が待っていた
母が持ってきたのは俺が食べたかった、から揚げだった・・・

なんだかとてもうれしかったので 洗物をしている母に
久しぶりに「ごちそうさま」といった

すると母は今まで見たことのないくらいの笑顔で「ありがとう」といった
久々に見た母の笑顔だった

うれしかったが、今まで「ごちそうさま」という
こんな当たり前の言葉も 言えなかった自分を
恥じないではいられなかった

今度機会があったら、母に「いつもありがとう」と伝えたいと思う・・・



26 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:31:41 ID:A97

俺は今日、ジャスコで買い物した。
そしたら出口で、カーネーションくばってた。
そのまま実家まで走って、おかんにカーネーションあげた。
おかん、そろそろ60だけど、いくつになっても俺にはおかん。



27 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:32:25 ID:A97

子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。
それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。
それほど簡単なことを私はしてこなかった。



28 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:33:12 ID:A97

お前らは本当にバカだな

むかしカーチャンに反抗しただろう? それ以来カーチャンはお前に気を使ってんだぞ

誕生日か母の日を一度でもすっぽかしたことがあるだろう? カーチャンはすげー楽しみにしてんだぞ

連絡せずに夜遅く帰ったことがあるだろう? カーチャンは心配しながら待ってんだぞ

「生んでくれなんて頼んでねえ!」って言ったことがあるだろう? カーチャンはその言葉に、半年は苦しんだぞ。一生の傷になるぞ

家事の手伝い、最近してないだろう? やってもらうのは当たり前じゃねーぞ。カーチャンはさも当然のようにやってくれるが

お前らはバカだ。だが、救いようのあるバカだ。
俺は救いようがない。孝行する相手がいないからな

なあお前ら。とりあえずパソコンを離れて、今すぐカーチャンに電話でもしろよ。近くにいるなら会いに行け。「育ててくれて有難う」くらい言ってみせろ。カーチャンは「何だい急にw」って言うだろうが、見えない所で泣いて喜ぶぞ

矮小な恥ずかしさなんか捨てて、小さな親孝行してきな。お前らが受け取ったものに比べれば、まだまだちっぽけな愛だがな



29 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:39:23 ID:A97

母の日に金もないからやっすい腕時計買ったら「ありがとう」って
こっちのほうがよっぽどありがとうをさせてもらってるのに



30 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:40:12 ID:A97

ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。
俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。
単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?
おまえらも数えてみ?
あと何日カーチャンに会える日がある?



31 : 名無しさん@おーぷん 2015/05/10(日)03:40:26 ID:A97

おわり



32 : 名無しさん@おーぷん   2015/05/10(日)03:44:04 ID:w33

ありがとう
明日花屋に走ってカーネーション買ってくる



元スレ:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1431194923
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