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    江戸時代

    江戸時代の寿司、あまりにもでかすぎる


    1 :








    そりゃ箸でなく手で持って食うわなこれなら



    2 :

    これマジなん?



    3 :

    酢飯で腹一杯になるわこんなん



    6 :

    >>3
    せやから今みたいに一度に沢山の数は食わなかったかと



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    令和キッズ「この看板江戸時代かよwwwwww」


    1 :

    別に普通の言い回しじゃね…?




    3 :

    殿wなりませぬw



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    江戸時代のダチョウ(陀鳥)、あまりに異形


    1 :

    今と全然違う




    2 :

    なんやこいつ…



    3 :

    ヒクイ鳥や



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    【画像】江戸時代の庶民の食事、健康に良さそう


    1 :



    美味そうやし



    2 :

    ワイより豪華



    3 :

    >>2
    働け



    5 :

    >>3
    働いてる



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    【画像】花火大会、今も昔も変わらないwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


    1 :

    1859年の隅田川花火大会




    5 :

    雑踏事故起きそうで怖いわ



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    【画像】江戸時代の陽キャの飲み会、楽しそう


    1 :





    2 :

    飲み会っていうか一日中居酒屋でうっすい日本酒飲みながらクダ巻いてただけやぞ



    3 :

    壁のやつはなにしてるのよ?



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    江戸時代民って真冬をどう乗り切ってたんや?

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    1 :

    エアコンとかないやろし焚き火とか七輪で乗り切る感じか?



    2 :

    半纏とか着てたから割と暖かった説
    こないだワイも半纏買ったけどモフモフでめっちゃ暖かいで



    5 :

    >>2
    はえーあったかそうやな
    ワイは着る毛布着てるわ



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    【悲報】江戸時代のお寿司屋さん、普通にサーモンの寿司を出してた


    1 :

    江戸時代の華屋與兵衛も出していたサーモンの鮨

    江戸時代の鮨の浮世絵はいくつか残っているが(例えば広重のものなど)、江戸を代表する寿司屋が自ら描かせた、『四代目主人の縁者が、明治十年頃の実際に「與兵衛ずし」で売られていた鮨を20種類のメニューの中から15種類をピックアップして、日本画家の「川端玉章」に写生させたという「絵」』(sushitimes)、が資料性が高いだろう。

    この絵の真ん中、こはだの左に赤い身の魚が鎮座しており、「ます」と書かれている。つまり、江戸の伝統的な鮨にサーモンは普通にあったわけである。






    2 :

    東京湾でサーモン釣れないけどな



    9 :

    >>2
    本マグロもほぼ釣れないやろ



    16 :

    >>9
    絵にマグロ無いけどな



    19 :

    >>16
    マグロ出すくらいならサーモン出す方が江戸前の伝統に沿ってるってことやな



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    江戸時代の人々、大阪から広島まで27分で米相場を伝えるシステムを構築していた


    1 :



    旗振り通信(はたふりつうしん)は、江戸時代中期から明治期にかけての日本で、米相場などの情報を伝えるために活用されていた、旗などを用いた通信システム(大型手旗信号の一種)である。

    熟練した者によってスムーズに旗振りが行われた場合、1回の旗振りを約1分で行うことができたと考えられ、旗振り場の間隔を3里(12km)とした場合、通信速度は時速720kmということになる。
    大阪から和歌山まで十三峠経由で3分、天保山経由で6分、京都まで4分、大津まで5分、神戸まで3分ないし5分または7分、桑名まで10分、三木まで10分、岡山まで15分、広島まで27分で通信できたといわれている[15]。

    んやで



    2 :

    腕木通信とか類似例はいろいろあるやろ



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    江戸時代の旅人が歩く距離、ヤバ過ぎるwwwww

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    1 :

    "江戸時代の旅人は1日で何キロくらい歩いたの?"


    一般的に江戸を立って京に向かう場合、最初の宿泊地となったのが戸塚宿、あるいはその手前の保土ヶ谷宿でした。
    日本橋から保土ヶ谷宿までが八里九町(約33km)、戸塚宿までは十里半(約42km)です。ですから1日の行程はおよそ八里から十里強(約32~40km)といえそうです。

    もちろんこれは成人男子の場合ですが、歩行速度を時速4kmとすると、単純計算で約8~10時間も歩くことになります。そのためには夜明け前に出発し、夕方日が暮れないうちに次の宿に着くようにしていました。

    『東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛・喜多八の二人が江戸を出て最初に泊まったのは戸塚宿ですが、2日目は戸塚から小田原まで約40km、3日目は小田原から箱根まで約30km強を歩いています。

    毎日10時間も歩きつづけながら目的に向かうというのは、現代では考えられそうもありませんが、履物も草鞋履きであったことも考え合わせると、一般的に昔の人は想像以上に健脚だといえそうです。



    2 :

    歩きすぎやろ



    3 :

    馬乗らんの



    249 :

    >>3
    庶民は乗れない



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